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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2008年09月30日

今後の計画

今日は少し寒かったので薪ストーブを炊きました!
木のぬくもりは最高!
火をつけるのも経済も一緒
小さな火を楽しく元気よく燃やしてあげるにはタイミング
火が楽しく燃えてあげるのにはどうしてあげようかな?
をやってあげると火は元気よく燃えてくれます

これは燃えてくれた後の画像ですね。
ありがとう!火!

今日は職安に行って手続きをしました
なぜなら私は少し前まで

にいたのですが、昨今の受注競争での敗退
さらなるダンピングの影響
そして私が在籍していた環境部門の縮小
などが重なり、早期退職いたしました

そしていろんな劇的なことの連続で次にお世話になるのは
某、金融関係の会社です!
職種は変わりますが、人と接して相手を楽しくするという面においては同じ!
きっと楽しい毎日が展開されると思います!
そしてその機会を与えてくれた人、機会、チャンス!、見守って頂いた人の感謝なのであります!

しかしながら僕にも野望がありまして…

将来的には「世界的自然体験、環境(修復/創造)企業」の設立を目指しております。

コンセプトとしては
自然と一体になるスポーツ学校との協力により、自然を体験する人工を増やす
それに伴いその地域の経済の活性をする
旅行会社と提携して全国、全世界にその事業を展開する
そして
世界各地にあるスポーツスポットにそのようなシステムを構築して
どんな地域でもその地域の特徴を生かしたビジネスを展開する!

そうすると、貧困問題や小さな子供の問題などをクリアできるのでは?
と考えこのような計画を立てております。

世界がきっと元気になれる日を想像して今日も色々楽しもうと思います!!!

僕の送ったメルマガで皆様が少しでも元気になれば幸いです!
ミニマグを毎朝配信しております。
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『世界元気計画』
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Posted by 福士健太郎 at 09:52Comments(1)
今日は、「エルトゥールル号の話」から紹介します。

この話は、「世界が100人の村だったら」と同様、何年か前にメールで
広まったので、ご存知の方も多いと思います。

今から115年前に、和歌山県の大島というところで起きた実話です。

前回の記事では、
ケネディ大統領が、日本人記者団以上に、上杉鷹山のことを知っていた
という話をしましたが、

今日の話は、日本人以上にトルコ人の人達がよく知っている話でもあり
ます。


【エルトゥールル号の遭難】


和歌山県の南端に大島がある。
その東には灯台がある。

明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。
今も断崖の上に立っている。


びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。
明治二十三年九月十六日の夜であった。


午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほう
から音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。

「何か大変なことが起こらなければいいが」灯台守は胸騒ぎした。


しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかった。

このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流
されてきた。
全長七十六メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいた。

灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には岩が
にょきにょき出ている。


ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。
船は真っ二つに裂けた。
その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。

乗組員全員が;海に放り出され、波にさらわれた。
またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。


そして、岩にたたきつけられた。一人の水兵が、海に放り出された。
大波にさらわれて、岩にぶつかった。

意識を失い、岩場に打ち上げられた。

「息子よ、起きなさい」

懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。


真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」
そう思うと、急に力が湧いてきた。

四十メートルほどの崖をよじ登り、
ようやく灯台にたどり着いたのだった。



灯台守はこの人を見て驚いた。
服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。
顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがって
いた。

灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。

「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」

「・・・・・・」
言葉が通じなかった。


それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、
船はトルコ軍艦であることを知った。

また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。

「この乗組員たちを救うには人手が要る」
傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。
電灯もない真っ暗な夜道。
人が一人やっと通れる道。


灯台守は樫野の人たちに急を告げた。

灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけであった。助けを求めて、
みんな崖をよじ登ってきたのだった。


この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。

船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。


だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が
見えた。
目をそむけたくなる光景であった。

村の男たちは泣いた。
遠い外国から来て、日本で死んでいく。
男たちは胸が張り裂けそうになった。


「一人でも多く救ってあげたい」
しかし、大多数は動かなかった。

一人の男が叫ぶ。
「息があるぞ!」
だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。

村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。
自分の体温で彼らを温めはじめた。


「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。


次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は六百人余り。
そして、助かった人は六十九名。

この船の名はエルトゥールル号である。


助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。

当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。
サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。

ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても助け
てあげたかった。


だが、どんどん蓄えが無くなっていく。
ついに食料が尽きた。
台風で漁ができなかったからである。

「もう食べさせてあげるものがない」

「どうしよう!」

一人の婦人が言う。
「にわとりが残っている」

「でも、これを食べてしまったら・・・・・」

「お天とうさまが、守ってくださるよ」


女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人
に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。

また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。


このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして
明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコ
に送還なされた。


このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。


次のような後日物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。

イラクのサダム・フセインが、
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」
と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。


日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。

しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。


世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。


そこに、二機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。

日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの1時間15分前であった。


なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、

日本政府もマスコミも知らなかった。


前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださ
った献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛
んだのです。」


(文・のぶひろ としもり)


以上、エルトゥールル号の話は、今から115年も前の出来事なんですね。
そして、20年前のイラン・イラク戦争の時は、トルコの人達によって、多く
の日本人が救われたわけです。


明治時代に、和歌山(大島)の人達が、トルコの人達を献身的に助けた。
そして時代は変わっても、その出来事を忘れなかったトルコの人達が、
こんどは日本人を助けてくれた。

和歌山の大島の人達も、トルコの人達も、素晴らしいですね。


トルコの人達が知っているエルトゥールル号の話は、日本の教科書には
のっていないそうです。
このような素晴らしい話は、ぜひ日本の子どもたちにも知ってほしいもの
です。

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Posted by 福士健太郎 at 02:28Comments(0)
細胞分裂して新たな細胞に入れ替わるとその細胞は排泄される。
つまり細胞は入れ替わり肉体という観点では別の肉体になっている。
そして人間は毎日寝ることによって死んでいる。
寝ている間は意識が無いですから。

以上の事項より人間は毎日生まれ変わっていると言える。

毎日やり直せるのだ!
今日一生懸命生きるのだ!!



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Posted by 福士健太郎 at 08:11Comments(1)

2008年09月23日

自分の棚卸をする事

自分のこれまでの人生を振り返って見て下さい

いい事
楽しかったこと
習得したこと
出合った人
辛かったこと

全てに意味があり
そして全てが感謝できることに気付きます

人生に起こることで偶然はありません

全てその人に対してよくなるように物事は動いております

人生を信頼して

全てを受け取りましょう

そしていつも目指す自分の姿をもうすでにそうであるかのように
感じながら毎日をいきましょう!!

毎日がとても幸せと感謝でいっぱいで過ごすことができます!

アミーーーゴ!
僕のお家!!


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Posted by 福士健太郎 at 07:55Comments(0)
自分が成し遂げたいことを紙に書いたことのある方は果たして何名いるのだろうか?
そしてその紙を毎日読み上げて、自分の潜在意識に入れている人は一体何名いるのだろうか?

これ、実際に私はやったことがあるのですが。本当に、本当にそうなるんです!

僕は新たな目標として、波・風・深雪に乗るビジネスを世界に発展させて
『自然と人間と経済の共生ができないか?』というテーマで活動することです!
今後とも宜しくお願いします!



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Posted by 福士健太郎 at 09:04Comments(0)